ワシは如何にしてベイスターズファンとなりしか

ファンになった理由だけを書くわけではないのです。ベイスターズの観戦記を中心に、気ままに書いていきます。

ベイスターズファンへの歩み①【気になるホエールズ】

このブログタイトル、「ワシは如何にしてベイスターズファンとなりしか」について。
ワシ個人のプロフィールと、思い出話みたいなもんなので、暇で興味のある人は読んでみてください。

謎の球団、大洋ホエールズ

ワシは野球を自分でやってた経験はない。だから野球とのかかわりは、全く観戦するだけだった。

子供の頃、父は野球中継ばかり見ては、母に「また、野球…」と言われていた。
子供からすると、おかあさんがそう言っているから、「また野球かぁ」とか思ってしまった。

だけど、母も実際はそんなに毛嫌いしていたわけでもなかったと思う。ワシも、なんとなく一緒に見ていて、それなりに楽しんではいた。

しかし、父とは決定的に違った点があった。
父はジャイアンツファンなのである。もっとも、ワシの地元神奈川県では、中継自体がほとんどジャイアンツ戦の時代だから、仕方ないかもしれないな。
だけど、ワシはジャイアンツがなんとなく好きになれなかった。きっと、元来の天邪鬼な性格からかもしれん。

そんなワシがひそかに気になったのは、大洋ホエールズという謎の球団だった。
神奈川県の川崎が本拠地らしいのだが、ほとんどテレビ中継がなく、ニュースでも取り上げられることが少ない。
いや、取り上げられていたのかもしれんが、そこらへんは、ジャイアンツファンの父のせいもあって、触れる機会がなかっただけかもしれない。
とにかくワシにとって、「大洋ホエールズ」というのは、川崎にあるらしいが、どういうチームなのか謎だった。

横浜大洋ホエールズ横浜スタジアム

ワシが中学生のころ、ホエールズが「横浜大洋」というチーム名に変わり、横浜スタジアムという新しい球場とともに、横浜に移転した。
このニュースは、特にまだファンでもなかったワシにとっても、なんだか心がウキウキする出来事だった。

特に横浜スタジアム
三角形の照明塔がなんだかカッコよかった。
内野席の一部が円形状のスタジアムに沿って移動してレイアウトが変わり、野球だけではなく、他のスポーツにも利用できる。
そして他のスポーツで利用するときには、ピッチャーマウンドの高さも変えられる、最先端の球場だった。
ホエールズファンでもないのに、「すごいなぁ!」と、なんだが、とても誇らしい気持ちになったのを覚えている。

ワシは地味に、横浜大洋を、応援するわけでもないが、気にするようになっていった。
ユニフォームも変わり、紺色の「YOKOHAMA」の文字がカッコいい、と思った。

そのうちワシは、高校、大学へと進んだ。
そうなると、色々なところに出かけたり、楽しいこと、やりたいこともいっぱいで、家で野球をみることもなくなっていった。

だけどホエールズは、相変わらず、ちょっと気になる存在だった。
田代がホームランを打ったニュースを見ては、嬉しくなった。
確かその当時、ホームランを1本打つごとに、選手のヘルメットに星がつけられていったと思う。
田代のヘルメットが星でいっぱいにならないかなぁ、と思った。

ところが、ホエールズは一向に強くならない。
投手では遠藤が好きだったが、ホエールズの勝ち星はなかなか増えず、ワシの中では、遠藤=孤高のピッチャー、というイメージが勝手にできてしまって、余計、遠藤が好きになったりした。

大学時代にタイガースが21年ぶりに優勝

大学は関西にある大学に進学して、一人暮らしを始めた。
大学在学中に、阪神タイガースが21年ぶりに優勝する、という大変な出来事に遭遇した。
周りの関西人の友人たちは大騒ぎだった。世間の騒ぎようがすごくて驚き、つられてワシも興奮した。もともとアンチジャイアンツの気質は持っていたから、タイガース優勝も何となく気分はよかった。
とにかく優勝の騒ぎは大変なもので、町の居酒屋もビール数十円(!)で出したりして、それに便乗して友人と飲みにいった。

後にワシはタイガースファンになるのだが、意外にも、この時の優勝がきっかけではないのだ。これは自分でも不思議だし、もったいなかった。
あの時にファンだったら…と思うのだが、その時はタイガースにさほど関心がなかったから仕方ない。
(つづく)
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